東日本大震災から3年半、我が故郷「福島」は復興への道半ば終わりの見えない原発対策・中間貯蔵建設・交付金など様々な問題を抱えている。しかし震災当時の状況について最近知ったことを皆さんにも知っていただきたいと思い、とある地方スーパーの地域貢献をご紹介したいと思います。
「ヨークベニマル」というスーパーをご存知でしょうか?
福島県、宮城県、山形県、栃木県、茨城県で営業をしているスーパーです。店舗数193店舗の中堅スーパーです。
私は「ベニマル」と呼びます。(地域によっては「ヨーク」)もっとも身近なスーパーでした。
東日本大震災当時の状況から、「ヨークベニマル」は震災により170店舗の約6割が休業するほどの被害があった。建物の損害も大きく 食品保存に必要な冷蔵設備も停電により使えない状況だったそうです。
当時の状況について大髙善興社長がこのように語っている。
特集 「東日本大震災」心をひとつに (2011年5月) | セブン&アイの挑戦 | 会社情報 | セブン&アイ・ホールディングス
相次ぐ大きな余震、原発問題という試練を乗り越えながら、なんとか5月中に、津波で甚大な被害に遭った石巻市の2店舗と原子力発電所周辺の5店舗を除く163店舗で「奇跡の復興」の目処がつきました。
私は常々、「店はお客様のためにある。一人ひとりのお客様に誠実を尽くすことが大切であり、その会社の哲学、理念を一人ひとりが理解・納得し、なおかつ自分で考えて判断し、行動することが重要だ」と伝えてきました。
幸いなことにお客様で大きなケガ人が一人も出なかったのは、従業員がいち早く避難誘導した結果です。また、夜明け前から並ぶお客様のために6時半から営業を開始した店、避難してきた約500人の地域住民に数日にわたって屋上での避難生活の場を提供した店など、本部と連絡がとれない中、店長が自らの判断で的確な行動をとっていました。
従業員をはじめ、その家族も少なからず犠牲になりました。自分の生活が大変な状況にあるにもかかわらず、お客様のために働く従業員の姿が、お客様からの感謝の言葉につながりました。
また、福島第1原発事故の避難指示地域の情報が錯綜したため、当初は半径30キロ圏外の店舗についても、安全が確保できないと判断し、閉店の指示を出しました。ところが、「今、私たちが営業しなければ、この地域の人は食料も水も手に入らない。営業させてください」と店長やゾーンマネジャーに懇願され、30キロ圏外の店舗ではすべて営業の再開に至りました。
「今、私たちが営業しなければ、この地域の人は食料も水も手に入らない。営業させてください」 自らも被災した側なのに、地域に住む人たちに対する支援を申し出た社員の方々に感動しました。私は震災当時、遠く離れた関東で仕事をしていた震災直後から電話が不通。家族との電話は震災の2日後にやっと連絡がとれた。私が故郷のためにできたことは何もなかった。そんな思いから「ヨークベニマル」の社員の方々の対応には目頭が熱くなる。
「ヨークベニマル」では2014年3月10日に福島民友・福島民報の地方紙朝刊にこんな内容の記事広告を掲載した。 「あの日のバナナ」と題された内容には震災当時の対応に対する感謝の手紙が。
各店舗の店長が独自の判断で無料配布・100円販売・後払いなどの対応を行った事は企業の危機管理対策に対する考え方を変えるものではないでしょうか?もちろん震災以降、多くの企業で危機管理対策をマニュアル化したり食料品備蓄などの対策を講じている。その時 その場で何が必要なのか どうすればいいのか?を自らが考え行動することが大切だと思う。
また、「ヨークベニマル」には震災直後から多くの企業から支援の輪が広がった。卸・メーカーや全国各地のスーパーが支援を申し出たのです。時にライバルでもある企業が支援をする。各社が提供してくれた支援物資は「ヨークベニマル」の倉庫から社員がトラックを運転し被災者に配布した。そして関東のスーパー「ヤオコー」の川野清巳社長は「被災している従業員や家族がいると思う。うちの研修センターを使ってください」との申し出まであったという。
この根底にあるのは「人」である。社長の携帯電話には旧知の企業トップから支援の連絡が入る度に支援の輪は大きくなっていったそうです。
「ヨークベニマル」は、セブン&アイホールディングスのグループ企業です。被災した店舗や物流施設の復旧に尽力したグループの社員達とそれを指揮した経営陣 企業の見本となるべき行動だったのではないでしょうか
最後に「ヨークベニマル」を31年間で売上高を200万円から2267億円に増やし、同社を東北地方で最大級のスーパーに育て上げた元社長 大高善兵衛さんが2014年8月3日にお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
福島)大高善兵衛氏死去 ヨークベニマル社長を31年間:朝日新聞デジタル