原発事故という節目を背負い生きる福島の人々と私の家族

田舎(福島)へ帰省しました。 今回は長女と次女 そして私の3人です。 嫁さんは仕事です。事前に予約した新幹線に乗り出発 新幹線を降りて駅前を歩くと以前よりも子供の数が多い。なんだか嬉しい しかし生まれ育った田舎は大きく変わってしまった。

帰省した翌日、子供達と郊外にある市運営の農育施設へ ここは農産物を加工販売する施設や農産の技術を紹介する施設 そして農産品を食すレストランがあります。また子供達が広い芝生の上で遊ぶこともできます

休日には子供達が喜ぶミニ電車も走ります。子供の希望でミニ電車の列へ並んでいると、こんな会話が聞こえてきた。「何才ですか?」列に並ぶ子供に付き添うお爺さんが3人の子供達と並ぶお母さんに話しかけた 同じぐらいの年齢だと思い話しかけたようです
「もうすぐ3才です」自分の子供と同じ年だった。そして次にお爺さんが「じゃあ震災の時はお腹にいたんだぁ」「そうです。震災後にひょっこり出てきました」「うちも一緒ダァー」「わっはっはぁ」と 何気ない会話かもしれないけど震災というキーワードが印象に残った。でも福島に住み子供を育てる家庭や家族は本当に一番意識している事なんですよね

震災で子供と離れて暮らす家庭もある
震災で引越した家庭もある
震災で家族ではなくなった家庭もある
私も、そして家族も その中に入っていることを忘れていた こんな風に忘れてしまうのか? 原発事故は起きてしまった事 次に何をすべきか もちろん原発廃炉も重要だけど 地域の生活を支援する取り組みが必要だと思う。
また、お盆に帰省します

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